古天明平蜘蛛の史跡訪問記録

日本各地の史跡・城跡を実際に訪問した記録と歴史解説。

この記録の読者となる
古天明平蜘蛛の史跡訪問記録をお届けいたす

🗾*史跡訪問記録*【平戸城|長崎】元寇を戦った水軍・松浦党から明治天皇へ——900年続いた一族の城が語る日本史

🗾*史跡訪問記録*

平戸城(ひらどじょう)

長崎県平戸市|松浦氏900年の居城・山鹿流で築かれた海の城(別名・亀岡城)

+日本とオランダの交流が始まった地・平戸オランダ商館にも立ち寄りました

青空にそびえる平戸城天守閣

日本各地の史跡を訪ね歩く語り部、戦国の茶釜「古天明平蜘蛛(こてんみょう ひらぐも)」と申します。かつて名将・松永久秀様に愛され、乱世をくぐり抜けてきた一個の釜です。

今回ご案内するのは、長崎県平戸市の平戸城。海に囲まれた丘の上に立つ、九州でも指折りの美しい「海城」です。城主の松浦(まつら)氏は、この地をおよそ900年にわたって治め続けた稀有な一族。ポルトガル船が来航し、オランダ商館・イギリス商館が置かれ、平戸が「西の都」と呼ばれた大航海時代の記憶と、完成したばかりの城を藩主みずから焼き払ったという謎めいた事件、そして軍学者・山鹿素行様の兵学によって再建された城の物語を、たっぷりとお話しします。それでは、ともに歩いてまいりましょう。

⚠️ はじめにお断り(訪問時期について)
この記事の写真・情報は2026年2月に訪問した当時のものです。開館時間・料金・展示内容などは変わる場合があります。お出かけの際は、必ず平戸城公式サイトなどで最新情報をご確認ください。


📜 この記事でわかること

  • 平戸城(亀岡城)の場所・アクセス・駐車場・営業時間・入場料
  • 日本100名城スタンプ(No.90)の設置場所
  • 約900年続いた松浦氏と水軍「松浦党」の歴史
  • ポルトガル船来航からオランダ商館・イギリス商館の時代まで、貿易港平戸の栄華
  • 完成直後の城を藩主みずから焼いた「日の岳城の焼き捨て」の謎
  • 軍学者・山鹿素行様の山鹿流による再築と、城内に残る珍しい遺構
  • 文人大名・松浦静山様の随筆「甲子夜話」と、明治天皇につながる松浦家の血筋
  • あわせて訪ねた平戸オランダ商館(復元倉庫)の見どころ
  • 史跡訪問者「古天明平蜘蛛」による歴史解説と感想

✅ 訪問インフォメーション

📅 訪問日 2026年1月(冬の朝〜夕方)
⏱ 滞在時間 平戸城 約90〜120分(登城+天守見学)/オランダ商館 約30〜60分
🚗 アクセス 西九州自動車道「佐々IC」から車で約40分。平戸大橋を渡って約5分。公共交通は松浦鉄道「たびら平戸口駅」からバスで平戸市街へ
🅿️ 駐車場 あり・無料(P1:普通車100台/P2:20台/P3:7台)
🚻 トイレ 駐車場付近・城内にあり
👥 混雑 冬の朝は静か。大型連休・夏休みは観光客が増える
📷 撮影可否 屋外は自由。天守閣内の展示はフラッシュ撮影を控える(施設の指示に従う)
🧭 迷いやすい点 駐車場から天守までは石段の登り。北虎口門ルートと大手門ルートがあるので案内板で確認を。オランダ商館は城の北側・港沿いで、城からは徒歩約15分
💴 見学料 天守閣:大人520円・高校生310円・小中学生200円/城内散策は無料
🕐 開場時間 4〜9月 8:30〜18:00/10〜3月 8:30〜17:00(休館:12月30日・31日)

📋 基本情報

城名 平戸城(ひらどじょう)/別名・亀岡城(かめおかじょう)・日の岳城
所在地 〒859-5121 長崎県平戸市岩の上町1458番地1
城のかたち 三方を海に囲まれた丘に築かれた平山城(海城)。山鹿流の縄張
築城 慶長4年(1599)松浦鎮信(法印)様が築城開始 → 慶長18年(1613)自焼 → 享保3年(1718)再築完成
歴代城主 松浦氏(平戸藩6万3千石・明治まで一貫して松浦氏)
天守 現在の天守閣は昭和37年(1962)建造の復興天守(藩政時代の平戸城に天守はなく、乾櫓が代用とされる)
主な遺構・見どころ 北虎口門(現存木造)、狸櫓、石の狭間、石垣、見奏櫓・懐柔櫓・地蔵坂櫓・乾櫓(復元)、亀岡神社、愛子様像
選定 日本100名城 No.90
問い合わせ 平戸城 TEL 0950-22-2201

🗺️ 地図(Googleマップ)

平戸城(亀岡公園)の位置です。平戸大橋を渡り、平戸市街の高台にあります。

※表示されない場合は「Googleマップで平戸城を開く」から。

🔖 日本100名城スタンプ

平戸城は日本100名城(No.90)に選ばれています。スタンプ収集の対象です。

設置場所 平戸城天守閣(入口付近)
時間 天守閣の開場時間(4〜9月 8:30〜18:00/10〜3月 8:30〜17:00)に準じる
補足 休館日など天守に入れない場合は、平戸市観光案内所等に設置されることがあります ※要最新確認

⚠️ 訪問の注意点

No. 注意事項
1 天守までは石段と坂の連続です。歩きやすい靴で。雨の日は石段が滑りやすいので特に注意を。
2 階段が難しい方は、天守閣裏側の懐柔櫓側にスロープ(緊急管理用道路)があります。事前に施設へ確認を。
3 天守閣・見奏櫓の施設内はペット同伴不可。飲食も指定場所以外では控えましょう。
4 展示施設内はフラッシュ撮影禁止。展示品には触れないように。
5 オランダ商館は城から少し離れた港沿いです。徒歩約15分。車なら商館近くの駐車場へ移動が便利です。

📸 現地写真と見どころ

2026年2月の訪問時に撮影した写真とともに、登城ルート順に見どころをご紹介します。

① 登城口と案内板 ―― 海を見下ろす丘へ

亀岡公園の駐車場から歩き始めると、まず平戸城の案内板が迎えてくれます。縄張図を見ると、三方を海に囲まれた丘の全体が城域になっているのがよく分かります。坂道を登るにつれて、眼下に平戸港と海が広がっていきました。「この先、平戸城天守閣」と書かれた青い案内サインは、海の向こうに世界を見ていた平戸らしい爽やかなデザインです。

平戸城の案内板(縄張図つき)

登城路から見下ろす平戸港と海

「この先、平戸城天守閣」の青い案内サイン

平戸城(亀岡城)ご案内の説明板

② 北虎口門 ―― 現存する唯一の木造遺構

石段を登った先に現れるのが北虎口門(きたこぐちもん)。平戸城に現存する唯一の木造遺構で、石垣と石垣の間に櫓を渡した「渡櫓」様式の門です。藩主の庭園「棲霞園」に最も近く、二の丸御殿への通用門でもありました。門をくぐるとき、頭上の梁と両脇の石垣が生む圧迫感に、往時の防御の工夫を感じます。門のそばには「北虎口書院」の石標も立っていました。

北虎口門(石垣に渡櫓がのる現存の木造門)

北虎口門の門扉と石垣(くぐりながら見上げる)

「北虎口書院」の石標

石段の先にそびえる石垣と櫓

③ 狸櫓と石の狭間 ―― 愛嬌と実戦の同居

北虎口門のそばに立つ白壁の櫓が狸櫓(たぬきやぐら)です。正式名は多聞櫓ですが、修理の際に狸が小姓に化けて藩主の寝床を訪れ、「このまま棲まわせてほしい」と懇願したという伝説から、狸櫓と呼ばれるようになりました。藩政時代から残る唯一の櫓です。

その付近の石垣で見られるのが石の狭間(はざま)。ふつう狭間は漆喰壁に開けられるものですが、平戸城では石垣そのものに射撃用の穴が組み込まれています。全国的にも珍しい遺構で、山鹿流の実戦的な思想がうかがえます。うっかり見逃しやすいので、石垣の根元をよく観察してみてください。

狸櫓(藩政時代から残る唯一の櫓)

石垣に組み込まれた「石の狭間」

石の狭間のアップ(射撃用の穴)

④ 郭内の石垣と門 ―― 山鹿流の縄張を歩く

郭内には、長く続く石垣の通路や、白壁と石垣が折り重なる曲輪が続きます。敵をまっすぐ進ませず、側面から攻撃できるように工夫された折れ曲がりの多い縄張は、山鹿流築城法の特徴と伝わります。白い玉砂利の敷かれた通路は美しく整備されていて、歩いているだけで気持ちのよい空間でした。

長く続く石垣の通路

石段の上の門

石垣と白壁が折り重なる郭内

⑤ 天守閣 ―― 海城のシンボル

最高所に立つのが、白と黒のコントラストが美しい天守閣です。じつは藩政時代の平戸城に天守はなく、乾櫓がその代わりを務めていたと伝わります。現在の天守閣は昭和37年(1962)に建てられた復興天守で、2021年に展示が全面リニューアルされました。石垣の上にすっくと立つ姿は、青空と海によく映えます。

平戸城天守閣の全景

「平戸城天守閣」の石標と入口

石垣の上の天守を見上げる

別角度からの天守閣

⑥ 天守閣内の展示 ―― 松浦氏と築城の物語

天守閣内の展示は体験型で、松浦氏の歴史と平戸城の築城物語を楽しく学べます。3階の「松浦氏・築城物語」では、築城のジオラマや鬼瓦などの資料が並び、西海一の水軍と呼ばれた「松浦党」の解説パネルも充実。甲冑の展示や、南蛮貿易時代を思わせる絵画もあり、平戸ならではの国際色を感じられます。「3つの狭間をのぞいてみよう」といった仕掛けもあり、お子さま連れでも楽しめる構成でした。

3階「築城物語」のジオラマ展示

甲冑の展示

「西海一の水軍・松浦党」の解説パネル

南蛮貿易時代を思わせる絵画の展示

⑦ 天守からの眺望 ―― 三方の海と平戸瀬戸

天守最上階からの眺めは、この城最大のごちそうです。眼下には平戸港と市街、平戸瀬戸を行き交う船、点在する島々。海に突き出した見奏櫓の姿も絵になります。かつて松浦党の船がこの海を駆け、ポルトガル船やオランダ船がこの港に錨を下ろしました。海とともに生きた一族の城であることが、この眺望だけで腑に落ちます。

天守から見下ろす平戸市街と港

海に突き出した見奏櫓と平戸瀬戸

点在する島々の眺め

陽光にきらめく平戸の海と港

見奏櫓ごしの海景

⑧ 亀岡神社と愛子様の像 ―― 天皇家につながる血筋

二の丸跡には亀岡神社が鎮座しています。明治13年(1880)に城内の神社を合祀して建てられたもので、歴代藩主を祀ります。10月の「平戸くんち」では平戸神楽の全24座が奉納されることで有名です。

境内近くには愛子(あいこ)像と呼ばれる愛子様の銅像があります。愛子様は9代藩主・松浦清(静山)様の娘で、その娘・中山慶子様が明治天皇の生母となりました。つまり愛子様は明治天皇の祖母。平戸の松浦家が天皇家へとつながっていく、歴史の意外な結び目をこの像が伝えています。

亀岡神社(御創建四百年の幟)

愛子様の像

愛子様像の説明碑

亀岡神社境内から見上げる天守閣

⑨ 平戸オランダ商館 ―― 日蘭交流の原点へ(ミニ訪問)

城を下りて港沿いを歩き、平戸オランダ商館にも立ち寄りました。慶長14年(1609)、オランダ東インド会社がここ平戸に商館を設置し、寛永18年(1641)に長崎・出島へ移されるまでの約33年間、平戸は日本で唯一のオランダ貿易港でした。現在の白い建物は、1639年に建てられた石造倉庫を平成23年(2011)に復元したもの。約2万個の砂岩を使った日本初の本格的洋風建築で、内部は貿易の歴史を伝える資料館になっています(入館料 大人300円前後・要最新確認)。

敷地には「1639年築造倉庫V字溝跡」など発掘遺構の説明板もあり、国指定史跡「平戸和蘭商館跡」として大切に保存されています。商館前の岸壁から海ごしに平戸城を望む景色も、ぜひカメラに収めてください。

平戸オランダ商館の白い外観と看板

復元倉庫の側面(約2万個の砂岩)

「1639年築造倉庫V字溝跡」の説明板

商館前から海ごしに望む平戸城方面

👣 観光で行く人へのポイント

🚶 まわり方
駐車場 → 案内板 → 北虎口門 → 狸櫓・石の狭間 → 郭内 → 天守閣(展示・眺望)→ 亀岡神社・愛子様像、が定番ルートです。時間があれば港へ下りてオランダ商館・松浦史料博物館まで足を延ばすと、平戸の歴史が立体的につながります。

⏰ 所要時間
平戸城だけなら90〜120分。オランダ商館・城下町散策も含めるなら半日をみておくと余裕があります。

🏯 城泊という選択肢
二の丸の懐柔櫓は、日本100名城で初めての常設宿泊施設「城泊」になっています(有料予約制)。海を独り占めできる一夜は、城好きには忘れがたい体験になるはずです。

📖 予習のすすめ
松浦氏900年、焼き捨て、山鹿流、オランダ商館――物語を頭に入れてから歩くと、石垣ひとつ、狭間ひとつが違って見えます。この記事の歴史解説をぜひ先に。


📖 歴史解説 ―― 古天明平蜘蛛が語る「平戸城と松浦氏900年」

語り手:史跡訪問者「古天明平蜘蛛」

ここからは、私・古天明平蜘蛛が、平戸城と松浦氏の歩みを時の流れにそってお話しします。水軍の一族の勃興、南蛮船の来航、城の焼き捨て、そして軍学者の描いた再建。海に開かれたこの小さな城下町は、日本史の教科書に出てくる「あの場面」に、何度も顔を出すのです。

【一】西海一の水軍 ―― 松浦党の起こり

松浦氏の歴史は平安時代までさかのぼります。11世紀ごろ、松浦地方(現在の長崎県北部から佐賀県北部)に土着した一族は、リアス式の入り江と島々を舞台に、海の武士団として力を蓄えました。血縁で結ばれた小領主たちの連合は「松浦党(まつらとう)」と呼ばれ、「西海一の水軍」とうたわれます。鎌倉時代の元寇では、松浦党の武士たちが最前線で戦い、大きな犠牲を払いながらも武名を高めました。

戦国時代に入ると、平戸を本拠とする松浦氏が一族をまとめ上げていきます。海を知り尽くした一族であればこそ、時代が「海の時代」へ変わったとき、その本領が発揮されることになるのです。

【二】ポルトガル船の入港 ―― 「西の都」フィランド

天文19年(1550)、ポルトガル船が初めて平戸に入港しました。ときの当主・松浦隆信(道可)様は貿易による発展を期待し、キリスト教の布教も認めます。同じ年にはイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエル様も平戸を訪れ、翌年には教会が建てられました。以後、平戸はポルトガル船が常に来航する貿易の中心地となり、南蛮人たちから「フィランド」と呼ばれ、「西の都」とたたえられるほどのにぎわいを見せます。

石畳の坂道を南蛮人と僧侶と武士が行き交い、港には異国の帆船が並ぶ――戦国の日本にあって、平戸はひときわ国際色豊かな町でした。この「海外に開かれた気風」こそ、平戸の歴史を貫く背骨です。

【三】日の岳城の築城 ―― 秀吉の天下から関ヶ原へ

天正15年(1587)、豊臣秀吉様の九州平定に際し、松浦鎮信(法印)様はいち早く参陣して所領を安堵されました。文禄・慶長の役では水軍を率いて出陣し、豊臣政権下の大名としての地位を固めます。そして慶長4年(1599)、鎮信様は亀岡の地(日の岳)に新しい居城の築城を開始しました。これが平戸城の始まり、日の岳城です。『壺陽録』によれば、12年以上の歳月をかけて完成したと伝わります。

折しも天下は関ヶ原の戦い(1600)を経て徳川の世へ。外様大名である松浦氏にとって、新しい幕府とどう向き合うかが、一族存続の最大の課題となっていきます。

【四】オランダ商館とイギリス商館 ―― 平戸の黄金時代

慶長5年(1600)、オランダ船リーフデ号が豊後に漂着しました。乗組員だったイギリス人航海士ウィリアム・アダムス(三浦按針)様は徳川家康様に重用され、のちの対オランダ・イギリス外交の橋渡し役となります。慶長14年(1609)、オランダ船が平戸に入港し、幕府の許可を得て平戸オランダ商館が設置されました。さらに慶長18年(1613)にはイギリス船も来航し、アダムス様の仲介で平戸イギリス商館も開かれます。

ヨーロッパ二か国の商館が並び立つ港は、当時の日本で平戸だけ。生糸や絹織物、胡椒、砂糖が荷揚げされ、銀や樟脳が積み出されていきました。平戸はまさに黄金時代を迎えたのです。なお、明の復興運動で名高い英雄・鄭成功(ていせいこう)様が平戸で生まれたのも、この時代(1624年)のことでした。

【五】城を自ら焼く ―― 慶長18年の謎

ところが慶長18年(1613)8月、平戸の歴史でもっとも謎めいた事件が起こります。完成したばかりの日の岳城を、築いた本人である松浦鎮信(法印)様が自ら火を放って焼き払ったのです。

理由は今も確定していません。豊臣氏と関係の深かった松浦家が、大坂の陣を目前にした緊張のなかで幕府から謀反の疑いをかけられることを恐れ、あえて城を焼いて恭順の意を示したとする説が有力とされます。嫡男・久信様に先立たれた悲嘆によるという伝えもあります。いずれにせよ、大名がみずからの居城を焼くという異常事態は、外様大名が生き残るために払った代償の大きさを物語っています。以後、松浦氏は御館(現在の松浦史料博物館の場所)を本拠とし、約100年ものあいだ城を持たない大名として藩政を続けました。

【六】商館の終焉 ―― 鎖国と出島移転

江戸幕府の統制が強まると、平戸の黄金時代にも影が差します。イギリス商館はオランダとの競争に敗れて元和9年(1623)に閉鎖。そして寛永17年(1640)、幕府はオランダ商館の破壊を命じました。理由とされたのは、新築の石造倉庫の破風に「西暦年号(キリスト紀元)」が刻まれていたこと。翌寛永18年(1641)、商館は長崎の出島へ移転し、平戸の対外貿易の歴史は幕を閉じました。約90年にわたって西欧に開かれていた窓が、閉ざされた瞬間です。

今日、港のほとりに白く輝く復元倉庫は、まさにこの「破壊された1639年築造倉庫」をよみがえらせたものです。

【七】山鹿流による再築 ―― 100年ぶりの城

城なき時代を経て、藩政の拠点だった御館は手狭になり、政務に支障をきたすようになっていました。4代藩主・松浦鎮信(天祥)様は、兵学者・山鹿素行様と親交を結び、再築の構想を温めます。5代藩主・棟(たかし)様の代に、将軍綱吉の外様大名登用策により寺社奉行に就任したことを追い風として、元禄17年(1704)、ついに平戸城の再築が始まりました。

縄張(設計)は山鹿素行様の兵学「山鹿流」にもとづくものでした。素行様自身は再築開始前に世を去っていたため、甥の山鹿義昌様らがその学を受け継いで築城を指導したと伝わります。惣人夫のべ54万人あまりを費やした大工事は、享保3年(1718)に完工。山鹿流の軍学が実際の城づくりに活かされた、全国でも珍しい城の誕生でした。石の狭間や折れの多い縄張に、その思想が今も息づいています。

【八】文人大名・静山様と「甲子夜話」

9代藩主・松浦清(静山)様は、江戸後期を代表する文人大名です。藩校「維新館」を創設し、城内には蔵書の殿堂「楽歳堂文庫」を設けました。隠居後の文政4年(1821)、甲子の夜から書き始めた随筆「甲子夜話(かっしやわ)」は、政治・外交から庶民の暮らし、怪談奇談まで、82歳で没するまでに278巻・約7000項目に及ぶ大著となり、江戸時代を知る一級の史料として今も読み継がれています。剣術の達人でもあり、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉も静山様の剣術書に由来すると言われます。

【九】天皇家へつながる血筋、そして現代へ

静山様の娘・愛子様は、公家の中山忠能様に嫁ぎ、娘の中山慶子様をもうけました。慶子様は孝明天皇に仕え、嘉永5年(1852)に生まれたのが、のちの明治天皇です。つまり、平戸藩主松浦家の血は、愛子様・慶子様を通じて天皇家へとつながりました。城内に立つ愛子様の像は、この歴史を静かに伝えています。

幕末には外国船の出没に備えて平戸瀬戸に台場が築かれ、藩士は戊辰戦争にも参戦。明治の廃藩置県とともに平戸城は役目を終え、建物の多くは失われました。昭和37年(1962)に復興天守が建てられ、平成18年(2006)には日本100名城(No.90)に選定。2021年には天守の展示がリニューアルされ、懐柔櫓は「城泊」として生まれ変わりました。900年の物語は、いまも現在進行形です。

📘 豆知識:狸櫓の伝説
藩政時代から唯一残る櫓・狸櫓の名は、修理のために床板をはがしたところ、住みかを失った狸が小姓に化けて藩主の寝床に現れ、「元どおり棲まわせてくだされば、末永く城を守ります」と願い出たという伝説に由来します。以来この櫓は狸櫓と呼ばれ、平戸城の愛されキャラクターのような存在になっています。

◆ 人物コラム:松浦鎮信(法印)様とは

戦国末期の当主・松浦鎮信(法印)様は、松浦氏を近世大名へと導いた中興の祖です。秀吉様の九州平定に速やかに応じて本領を守り、朝鮮出兵では水軍を率いて渡海しました。関ヶ原では徳川方への恭順をいち早く示し、平戸藩6万3千石の基礎を固めます。日の岳城を築き、そして自ら焼いた決断は、豊臣恩顧の外様大名が徳川の世を生き抜くための、苦渋に満ちた処世でした。オランダ商館の誘致も鎮信様の時代の出来事であり、武と商の両面で一族の舵を取り続けた人物です。

◆ 人物コラム:山鹿素行様とは

山鹿素行様は江戸前期の兵学者・儒学者です。実戦を踏まえた兵学「山鹿流」を大成し、多くの大名や武士に影響を与えました。朱子学を批判したことで赤穂へ配流された時期があり、赤穂藩士に兵学を講じたことから、後世「忠臣蔵」の討ち入りと結びつけて語られることもあります(山鹿流陣太鼓の逸話は創作とされます)。平戸藩4代藩主・天祥鎮信様とは深い親交があり、その学統が平戸城再築の縄張に活かされました。山鹿流の思想を体感できる城として、平戸城は全国でも希少な存在です。

◆ 平戸城・松浦氏 ―― おおまかな時系列

できごと
11世紀ごろ 松浦地方に松浦氏が土着。水軍「松浦党」として成長
1550年 ポルトガル船が平戸に初入港。ザビエル様も来訪
1587年 秀吉様の九州平定に参加、所領安堵
1599年 鎮信(法印)様、日の岳城(平戸城)の築城開始
1609年 オランダ商館設置。1613年にはイギリス商館も
1613年 鎮信(法印)様、完成直後の日の岳城を自焼。以後約100年城なし
1641年 オランダ商館が長崎・出島へ移転。平戸貿易時代の終焉
1704年 山鹿流の縄張で平戸城再築開始
1718年 平戸城(亀岡城)完工
1821年 静山様「甲子夜話」起筆
1852年 静山様の孫・中山慶子様を母として明治天皇ご誕生
1962年 復興天守建造。2006年に日本100名城選定、2021年展示リニューアル

◆ 平戸城をめぐる主な人物

人物 立場・関わり
松浦隆信(道可)様 戦国期の当主。ポルトガル貿易を受け入れ平戸を国際港に
松浦鎮信(法印)様 日の岳城を築城し、自焼。近世平戸藩の基礎を築く
松浦鎮信(天祥)様 4代藩主。武家茶道「鎮信流」を創始。素行様と親交
山鹿素行様 兵学者。平戸城再築の縄張の基となった山鹿流の祖
松浦棟様 5代藩主。寺社奉行就任を機に再築を実現
松浦清(静山)様 9代藩主。「甲子夜話」の著者。文人大名の代表格
愛子様・中山慶子様 静山様の娘と孫。慶子様は明治天皇の生母
ウィリアム・アダムス(三浦按針)様 家康様に仕えた英国人航海士。両商館設置に貢献し平戸で没す

📘 豆知識:日本最初のたばこ・ビール・英国人の墓
城内には「日本最初 たばこ種子渡来之地」の碑があります。慶長6年(1601)、フランシスコ会士から藩主にたばこの種子が贈られたことを記すものです。また平戸は、イギリス商館長リチャード・コックス様が日記にビール醸造を記した「日本のビール発祥の地」とも言われ、按針様が眠る地でもあります。国際交流の先進地ならではの「日本最初」がいくつも眠る町です。


🍵 古天明平蜘蛛による歴史感想記

語り手:史跡訪問者「古天明平蜘蛛」

── 古天明平蜘蛛の記 ──

私は古天明平蜘蛛。釜師の手によって生まれ、幾多の武将の茶席を彩ってきた茶釜です。平戸城を訪ねて、まず胸を打たれたのは、どこを歩いても海が見えることでした。石段の途中で、櫓の窓で、天守の上で――視界の端に必ず、光る海がある。これほど海と一体になった城を、私はあまり知りません。

城を焼くという決断

完成したばかりの城に、自ら火を放つ。鎮信(法印)様の胸中を思うと、言葉を失います。12年かけて築いた城は、一族の誇りそのものだったはずです。それでも、幕府に疑われて家が潰れるくらいならばと、誇りを煙に変えた。乱世を生き延びるとは、時にそういうことなのでしょう。私を愛でた松永久秀様は、城と共に自らを爆ぜさせたと語られる人でしたが、平戸の殿様は逆でした。城を捨てて、家を残した。100年後、その家がより立派な城を建て直したのですから、歴史の帳尻とは不思議なものです。

茶釜として、鎮信流を思う

私にとって嬉しかったのは、この城下が武家茶道「鎮信流」の故郷だということです。4代藩主・天祥鎮信様が開いたこの流儀は、「文武両道」を旨とし、茶を心を磨く修行の場とみなしました。海の武士団の末裔が、南蛮貿易の栄華と衰退を見届けたあとに、静かな一碗へと行き着く。茶釜の身には、その道筋がしみじみと尊く思われます。湯の沸く音に、平戸瀬戸の潮騒が重なるようでした。

海に開き、世界と交わり、時に耐え、文を磨いた松浦の900年。派手な合戦の舞台ではありませんが、この城には「生き残る知恵」のすべてが詰まっています。天守から海を眺めたら、ぜひ港へ下りて、白いオランダ商館まで歩いてみてください。城と商館、ふたつの建物のあいだに、日本が世界と出会った時代の風が、今も通り抜けています。名残惜しくはありますが、私はまた次の史跡へと歩いてまいります。

 

── 古天明平蜘蛛

🏛️ あわせて巡りたい ―― 周辺とモデルコース

スポット みどころ
平戸オランダ商館 1639年築造倉庫を復元した資料館。日蘭交流の原点(城から徒歩約15分)
松浦史料博物館 御館跡に立つ博物館。松浦家伝来の貴重な資料を収蔵
寺院と教会の見える風景 平戸を代表する撮影スポット。石畳の坂の先に寺と教会が重なる
幸橋(オランダ橋) 元禄期の石橋。オランダ商館建設の技法が伝わったとされる国指定重要文化財
川内峠 360度の大草原パノラマ。平戸島の絶景ドライブスポット

── おすすめモデルコース(1日)──
🚗 平戸大橋
↓ 車で約5分
🏯 平戸城(登城・天守見学・亀岡神社/約2時間)
↓ 徒歩または車で港へ
平戸オランダ商館(約45分)→ 幸橋・城下町散策
↓ 徒歩
🏛 松浦史料博物館・寺院と教会の見える風景
↓ 車で約15分
🌄 川内峠で夕景を締めくくり

❓ よくある質問(FAQ)

Q. 平戸城の天守は本物ですか?
A. 現在の天守閣は昭和37年(1962)建造の復興天守です。藩政時代の平戸城に天守はなく、乾櫓が代用だったと伝わります。北虎口門と狸櫓は藩政時代からの現存遺構です。

Q. 日本100名城スタンプはどこで押せますか?
A. 天守閣入口付近にあります。開場時間内にどうぞ(休館時の設置場所は要確認)。

Q. 見学にどのくらい時間がかかりますか?
A. 登城から天守見学・亀岡神社まで含めて90〜120分が目安です。オランダ商館もあわせるなら半日を。

Q. なぜ松浦氏は自分の城を焼いたのですか?
A. 慶長18年(1613)、鎮信(法印)様が完成直後の日の岳城を自焼しました。豊臣氏と親しかったため幕府の疑念を恐れて恭順を示した、とする説が有力です(諸説あります)。

Q. 平戸城に泊まれると聞きましたが本当ですか?
A. 本当です。二の丸の懐柔櫓が常設宿泊施設「城泊」になっています(有料予約制・日本100名城初)。

📚 参考資料

資料名 備考
平戸城公式ウェブサイト(観覧案内・平戸の歴史・城内史跡・アクセス) 開場時間・料金・史跡解説
平戸オランダ商館 公式ホームページ 商館の歴史・利用案内
平戸市公式ホームページ 観光情報・100名城スタンプ情報
Wikipedia「平戸城」「平戸藩」 築城・再築の経緯
現地説明板・天守閣展示 平戸市・現地

🔗 関連記事リンク

同じ長崎県の島原城、九州ゆかりの記事もあわせてどうぞ。

 

✏️ まとめ

平戸城は、約900年この地を治めた松浦氏の到達点であり、大航海時代の日本を象徴する「海の城」です。ポルトガル船の来航に始まり、オランダ・イギリス商館が並んだ黄金時代、完成直後の城を自ら焼いた苦渋の決断、100年の雌伏を経ての山鹿流による再築、文人大名・静山様の学芸、そして明治天皇へつながる血筋まで――小さな城下町に、これほど濃密な物語が積み重なっている場所はそう多くありません。天守からの海の眺めと、港に白く輝くオランダ商館をセットで訪ねれば、日本が世界と出会った時代を肌で感じられるはずです。お出かけの際は最新情報をご確認のうえ、海風の心地よい城めぐりをお楽しみください。


🗾 史跡訪問記録 | 長崎県平戸市 | 平戸城・松浦氏・平戸オランダ商館 🗾

#平戸城 #亀岡城 #松浦氏 #松浦党 #山鹿流 #山鹿素行 #平戸オランダ商館 #日本100名城 #狸櫓 #甲子夜話 #松浦静山 #鎮信流 #長崎 #城巡り #古天明平蜘蛛

※本記事は史跡訪問記録として作成しました。写真・情報は2026年2月の訪問時のものです。開場時間・料金・展示内容は変わる場合があります。最新情報は平戸城・平戸オランダ商館の公式情報でご確認ください。
※歴史記述には諸説ある事項が含まれます。伝承・逸話はその旨を記載するよう努めています。
※語り手「古天明平蜘蛛」は戦国茶器をモチーフにした架空のキャラクターです。

このサイトについてプライバシーポリシーお問い合わせ